ねこねこふわふわな住職

真宗大谷派玄照寺 瓜生崇のブログです

沈みゆく教団

これは愚痴というか独り言です。坊さんじゃなかったら読んでもあまり面白くないと思う。

私は浄土真宗の末寺の住職なわけだが、浄土真宗ってのは二つの大きな流れがある。本願寺派(お西)と大谷派(お東)がそれであり、私は後者だ。他にも色々あるだろ!というツッコミは当然あると思うけど、大きな流れといったらこの二つになるのは自明だと思うので勘弁してください。

で、たまに本願寺派の学校がやっているWEB講座に参加しているのだ。昨日参加したのはZoomでやっているもので、奇をてらわず、淡々とお聖教を読んで解説するものなんだけど、参加者は100人を超えていた。大半は一般の方である。そんな講座をこの学校は週に2~3回、一年以上続けている。

本願寺派は他にもこんな講座がたくさんある。関係者だけのものもあれば、開かれたものもあるけど、コロナ禍で通常の講座ができなくなってから随分増えた。お昼の定例法座も毎日中継してる。

私は本願寺派の法座って正直あんまり好きじゃない。喜びやありがたさをあまりに強調しすぎているから(もちろん人によるけど)。あんまりひどいのになると、阿弥陀さんが救ってくれるんだから、お前もありがたく思え!!とツボでも売りつけられている気になる。

でも、教えを聞く営みを大事にしているのはひしひしと伝わってくるのだ。「大乗」とか「季刊せいてん」という彼らの機関誌も読んでいるけど、教えを伝えたいって思いがストレートに伝わってくる内容だ。

で、我らが大谷派は、そういうWEB講座は殆どない。唯一「専修学院」という学校が始めたけど、これも主には卒業生が対象であって熱心に宣伝しているわけではないし、ひょっとして他にもあるかも知れないけど、ほとんど伝わってこない。たまに有名な先生の講座がメールで送られてくるが、受講対象が限定されていたり単発的であったりで、開かれた地道な講座とは言えないだろう。

一応「真宗会館」という大谷派の東京の出先機関が比較的熱心にYoutube法話をアップしているが、どうも知識人や文化人を出してきて、それを坊さんと対談させる動画をメインに推している感じである。

大谷派は機関誌もそうで、その時のはやりの知識人を連れてきて、坊さんと対談させる企画が扉を飾る。なんだか一昔前の大企業の社内報みたいである。社内報でのこの手の企画は、企業の偉い人が有名人と対談して箔をつけるくらいの意味しかなかったが、大谷派のそれも似たような印象しかない。

お聖教を読み、その解説をし、それについて語り合う。長い時間を書けて営々と続いてきた取り組みが、コロナで急速に失われているのに、ただ失われるのを呆然と見ているだけが我らの宗派のような気がする。個人では対処が難しすぎる問題で、本当はこういうときこそ組織のバックアップが必要なんじゃないかと思うが、私が知る限り、本当になにもないのである。

私自身は去年の4月からずっとYoutube法話を配信し、Zoomで経典講義をしてきた。そこに来る人で、何人か「親鸞会のネット講座から来た」という人に出会った。親鸞会とは浄土真宗新宗教で、以前私が在籍していた教団なのだが、勧誘のために教団名を隠してネット講座とかやってる問題のある所だ。そこで講座を聞いていた人たちが、なんか変だとかおかしいと思って検索して、私の講座にたどり着いてくるのだ。

聞きたい人は親鸞会のダミー講座だって聞くのだ。大谷派がやらない理由はなんだろう。聞きたい人がたくさんいるのだから、やれば必ず来る人はいると思うのだけど。

こんなのは隣の芝生はなんちゃら、なのかも知れない。けど、私のいる大谷派という教団は、いま深刻なアノミーに陥っているように思う。

自分たちの求めている「浄土真宗」という教えが空洞化してしまって、800年これをやってきたのに、果たして浄土真宗の救いとはなにか、念仏とはなにかが、根本的にわからなくなってしまっている。いや安易に分かった気になるのも大問題で、わからないならわからないことに真正面から向き合えばいい。それが宗教だろう。

しかし大谷派はそれもせず、「拠り所」「出会い」「共に生きる」といった世間受けの良い言葉で、教えの核心を置き換えて宗教色を薄めてしまった。そうなると、もう浄土真宗でなくても、いや宗教である必要すらあまりないのである。だから、有名人や文化人を呼んだりして、社会の問題と照らし合わせながら、浄土真宗の「価値」を箔付けしてもらわなければ、やっていけなくなった。

大谷派というのは多様な考えや立場の集合だから、「大谷派」という乱暴なくくりでこんなことを論じるのはいささか無茶があることは分かっている。しかし、私と同じくこの教団に属する人がこれを読めば、なんとなく私の言いたいことは分かってくれるのではないか。

今回は、身内の話で申し訳ない。