ねこねこふわふわな住職

真宗大谷派玄照寺 瓜生崇のブログです

「仏教的人権概念」という言葉の危うさについて

1 人権によって仏教を問うのか、仏教によって人権を問うのか

真宗大谷派の研究誌『教化研究』第176号の「宗教と人権」特集に掲載された、「仏教的人権概念の創案にむけて」という巻頭言を読んだ。仏教の立場から「宗教」や「人権」という言葉を問い直し、そこから新しい人権概念を構想しようという内容である。

books.higashihonganji.or.jp

これに私はかなり強い違和感を覚えた。その違和感を端的に言えば、これが「人権によって仏教や宗教教団を問い直す」のではなく、「仏教によって宗教や人権の意味を問い直す」方向へ進んでいることにだからだと思う。この違和感をなんとか言語化してみたい。

2 「われわれは普通の宗教ではない」という自己特権化

まず思ったのが、この部分である。

現代では「宗教」という言葉によって、「浄土真宗」を正しく表現することはできないのではないかと危惧されるのである。

「宗教」という近代的カテゴリーでは浄土真宗を十分に捉えきれない、という学問的な議論と、「浄土真宗は普通の宗教とは違う」という理解は同じものではない。しかし、宗教団体自身が「宗教という言葉ではわれわれを正しく表現できない」と語り始めると、この二つは読者にとって近接したものとして理解される。

つまり、「われわれは普通の宗教ではない、特別な宗教なのだ」という自己特権化を感じてしまうのだ。こういう言説は私は大谷派でずいぶん聞いた。

これがさらに進めば、「通常の宗教団体に向けられる批判や基準を、そのままわれわれに適用することはできない」という発想にもつながりうる。もちろんそこまで明言しているわけではないが、自分たちが「普通の宗教」の外側にいるかのような自己理解が、この巻頭言には常に入り込んでいるように思う。

現実には真宗大谷派は、宗教組織が一般に持ちうる危うさから少しも自由ではない。むしろ宗教組織が陥りうる典型的な問題の多くがかなりよく揃っている。

宗祖という圧倒的な宗教的権威があり、僧侶と門徒という立場の違いがあり、寺院の経済的な格差や、衣の色で区別されるような階層もある。教団内部で長年用いられてきた独自の言葉遣いがあり、その言葉を身につけた者ほど発言の正当性を獲得しやすい。さらに、特定の家系と宗教的権威とを結びつける門首制度も存在する。パワハラ問題も起こしたし、差別の問題も未だに抱えている。小さな子供に帰敬式を受けさせることを推奨したりもする。

私は長年カルト問題に関わってきたが、どこの教団も「自分たちは宗教というカテゴリには入らない」と、それそれの理屈でいいたがる。そしてそう言うことによって、宗教そのものがもつ問題が自分たちとは無縁であるかのように振る舞う。

こうした「よくある宗教の振る舞い」に、この巻頭言がすっぽり入り込んでいるのは、ある意味では微笑ましい。しかし、大谷派が「宗教と人権」を論じる場で、わざわざなぜこれを前置きとして言わなければならないのかを考えると、ちょっとほっておくわけにはいかない。

3 「依存する宗教は偽物」という危うさ

巻頭言では、人間の不安への向き合い方について、

一つは不安そのものの元を尋ねる道と、もう一つは何かに依存して安易に答えを得ようとする道である。清沢の眼から見れば、前者が宗教、後者は似非宗教であるということになる。

と述べる。そしてさらに、

私たちが苦しみ悩みながら宗祖親鸞と共に学ぶ道を捨てて、その苦しみを和らげるために親鸞を絶対化し依存するならば、カルト教団に陥る可能性を拭い去ることができない。

という。

親鸞を絶対的な権威とし、思考を停止することへの批判はわからなくもない。宗教的権威への依存が、人を支配する仕組みに利用されることも現実にあるからだ。しかし、「問い続ける宗教」が本物であり、「何かに依存して答えを求める宗教」は似非宗教である、という区別はさすがに単純すぎる。

そもそも、人はなぜ宗教に向かうのか。人生について考え続けたいから宗教に向かう人ばかりではない。愛する人を失い、生きていけなくなった人もいる。病気や死を前にして、何かにすがりたい人もいる。自分の力ではどうにもならないと感じ、祈り、救いを求め、自分を何かに委ねる人もいる。

そのような人に向かって、「何かに依存して答えを求めるのは、本当の宗教ではない」と言えるのだろうか。そうした人々に向き合うことなく、「問い続ける」自分たちを上に置き、そうでない宗教のあり方を「似非宗教」だと机の上から蔑むなら、それは一種の懈慢界だろう。

問題は「依存するか、しないか」ではないはずである。何に依存しているのか。その関係の中で誰かが権力を握っていないか。そこから離れる自由はあるのか。疑問を述べたり、指導者を批判したりできるのか。宗教的な教義や権威を根拠に金銭や服従を要求していないか。

カルト性を論じるときに見るべきところは、ここであるはずなのだ。

また、「問い続けること」をドグマ化することにも問題がある。「答えを出すのではなく、共に問い続ける」という姿勢は、一見すれば謙虚である。

しかし、差別的な制度について批判されたとき、本当に必要なのは「この問題を私自身の問いとして受け止めたい」と言うことではない。責任を明らかにし、制度を変更し、再発を防ぐことである。結局、大谷派が人権的に批判されてきたのは、これができなかったからではないか。

大谷派は、問い続けているという姿勢そのものを絶対視し、いわばそれを「答え」にしてきた。しかし、「問い続けます」という言葉が、答えを出し、決断し、制度を変える責任を先送りするための論理に使われることはなかったか。

4 人権を相対化する前に、自分たちを人権で問うべきではないか

この巻頭言は、「人権」という言葉についても同様の相対化を行っていく。

現代社会では、

自分の思い通りにならないような場面で安易に「人権侵害だ」と訴えたり、

することがあり、「人権尊重」という言葉についても、

本来の人権概念の一部を都合よく使っている

場合があるという。

もちろん、不満がそのまま人権侵害になるわけではない。「人権」という言葉が不適切に使われることもあるだろう。しかし、「宗教と人権」を特集する宗教団体の研究誌が、まず心配しなければならないのは、「人権という言葉を安易に使う人」の方なのだろうか。

むしろ逆である。誰かが「これは人権侵害ではないか」と訴えたとき、「そんな大げさな問題ではない」「あなたの受け止め方の問題だ」と私たちは退けてこなかったか。組織の秩序や伝統を守るために、声を上げた人間の方を問題視してこなかったか。

人権という考え方の重要なところは、特定の宗教や思想の内部に入らなくても、「これは社会や人間に対してしてどうなのか」と問える点にある。これらを問うのに、「真の人間とは何か」という哲学的議論は必要ない。その人が親鸞をどれほど深く理解しているかも関係ない。

ところが、真宗大谷派の言説では、こうした問題がしばしば「自分自身をどう問うのか」という内面的な問題へ移されていく。だから残業代を求めた職員が出てきた時に、「そんな事をいうのは信心が足りないからだ」などと言ってしまう文化ができてしまう。

社会は人権について、様々な現実の問題に向き合いながら、具体的な議論をずっと続けてきた。それをすっ飛ばして、本来の人権概念だとかの話に置き換えたり、漢字の翻訳の話などに矮小化しないでほしい。

自分の中にある差別心についていくら問い続けても、差別を生み出す制度や構造が残っていれば、差別は再生産される。権力関係をそのままにして、「人間とは何か」を問い続けても、権力関係はなくならない。

人権という概念の重要な役割は、そうした精神論からいったん距離を取り、「具体的に何が行われているのか」を問うことにもあるのだ。

5 門首制度には、なぜ仏法の眼差しが届かないのか

そして、この巻頭言が『教化研究』の「宗教と人権」という特集の冒頭に置かれていることを考えると、どうしても気になることがある。自分たちの教団が現実に持っている制度や権威構造への視線が、あまり見えてこないのだ。

たとえば門首制度である。

門首制度をただちに人権侵害というつもりはない。しかし、特定の家系と宗教的権威とを結びつける制度を持つ教団が、人権を正面から論じるのであれば、その制度が現代においてどのような意味を持つのか、出生と宗教的地位との関係をどう考えるのか、そこにどのような特権や排除が生じうるのか、といった問いを自らに向けるのは当然ではないだろうか。

しかし、門首制度のような自分たちにとって痛い具体的問題になると、その仏法の眼差しが急に届かない。「人権とは本当は何か」という壮大な問いには向かう。しかし、「では、あなたたち自身の制度を人権という物差しで測ったらどうなるのか」という問いには向かわない。

本号(巻頭言ではない)では女性差別についての問題も大きく取り上げられており、それは具体的でかつ重要な論考だと感じたが、そこでも男系男子においてのみ継承される門首制度については触れていない。たまたま忘れていたのか、あるいは触れるほどの問題ではないと考えたのか、あるいは触れられない何かの事情があったのかは知らないが。

6 「世間の仏法化」という言葉が示すもの

そして、この巻頭言の問題を最も象徴しているのが、最後の一節である。

現代社会をよく観察して、その根底にあるものを見抜く眼と、仏教を深く学んで、両者を重ね合わせる必要がある。これを「世間の仏法化」と称して、私たちの基本的な姿勢としていきたい。

私はこの「世間の仏法化」という言葉に、強烈な違和感を覚える。なぜならここには、「仏法は社会を照らす側であり、社会は仏法によって照らされる側である」という構図が、無意識のうちに成立しているからである。

しかし宗教団体もまた「世間」の一部である。仏法を語る者だけが、それらから離れた場所に立つことはできないはずだ。ここでいつの間にか真宗は、外部から批判される一つの宗教ではなく、「人権とは何か」「社会とは何か」を判定する側へと移動している。

私の知るカルト問題は、大体この論理の上で起きている。「宗教」を「世間」の上位に置くことで、自己を顧みることができなくなり、暴走するのだ。

7 「世間の仏法化」の前に

「世間の仏法化」を語る前に、まず自分たちの教団を、人権という外部の物差しにさらしてみることが、どうしてできないのだろうか。

人権を仏教の物差しで測り直すのではなく、人権という外から来た物差しを、自分たち自身にも容赦なく当ててみる。その結果、長く守ってきた制度や伝統が批判されても、その批判から逃げない。

「われわれは普通の宗教ではない」と言う前に、普通の宗教団体に向けられる批判を、まず自分たちも引き受けてほしい。それこそが、「苦しみ悩みながら宗祖親鸞と共に学ぶ道」だろう。

実は本号には、そうした視点で人権の問題を捉えている論考もある。私は「これって巻頭言を暗に批判しているのでは」と思ったくらいだ。それはいくらなんでも考えすぎかもしれないが、そうだとしたらその勇気には敬意を表したい。

昨日までの権威、今日からの多様性

最近、大谷派はずいぶん門首を推している。門首が書いた『ボン・アミーゴ ブラジルで聞いた念仏の声』という本だ。東本願寺の門首として出される初めての本なのだという。機関紙でも大きく取り上げられ、京都新聞には見開きの企画広告まで出た。なかなかの力の入れようである。

もちろん、大谷暢裕門首という一人の人間について、僕は何か悪い感情を持っているわけではない。ブラジルで育ち、物理学の研究者として長く生き、それから日本にやってきて門首になった。なかなか珍しい人生だと思う。本を書くのだって構わない。実際に文章を起こしたのは教団の出版部だそうだけど。

問題はそこではなく、その経歴を、大谷派が「国際性」や「多様性」の象徴として使おうとしていることだ。

なぜなら、この「多様性の象徴」という人が座っている椅子は、世襲の椅子だからだ。しかも誰でも座れるわけではない。真宗大谷派の内事章範には、門首は「宗祖の血統に属する嫡出の男系の男子」が世襲によって継承すると、現在もはっきり書いてある。つまり女性は最初から候補にならないし、大谷家の血統に属さない圧倒的大多数の僧侶や門徒も候補にはならない。

もちろん、ブラジルで育った人が門首になることには、それなりの多様性も国際性もあるだろう。しかしそれは、その人の人生が多様なのであって、制度が多様なのではない。

入口は一つしかなく、しかもそこに「大谷家・男系男子専用」と書いてある。その入口からたまたまブラジル育ちの人が入ってきた。それを見て、「見てください、私たちは多様です」と言っている。いや、ちょっと待て、と僕は思う。それは多様性ではなく、世襲制度の中で起きた一つの出来事に過ぎないのではないのか。

しかも、この話にはもう一段ややこしい歴史がある。大谷派はかつて、法主という巨大な権威と激しく争った。昔の法主は、法統の継承者であり、本願寺住職であり、宗派の管長でもあった。宗教的権威と組織上の権力が一人の人間に集中していた。いわゆる「三位一体」である。そしてその体制が、教団問題――いわゆる「お東騒動」の中で破綻した。1980年に京都簡裁で即決和解が成立し、翌1981年、新しい宗憲が制定された。そこで法主制は廃止され、門首制になった。

これはかなり大きな転換だった。門首は宗派を支配する人ではない。現行宗憲によれば、門首は僧侶・門徒を代表して宗祖の御真影を給仕し、仏祖を崇敬する。そして「僧侶及び門徒の首位にあって、同朋とともに真宗の教法を聞信する」存在である。宗務に関わる行為も、内局の進達によってのみ行うものとされている。

ものすごく乱暴に言えば、「あなたに教団に関わる一切の権力を認めません、すべて私たちの指示に従ってください。でも宗祖の血統を継ぐ象徴として、そこにいてください。そして私たちと一緒に聞法してください」という制度である。もっと意地悪に言えば、「必要だから置いておきます。でも余計なことはしないでください」ということでもある。少なくとも制度的には、一人の人間の人格と立場を尊重しているとはいい難い。

しかし先代の門首は、その難しい位置を長いあいだ黙って引き受けた。僕はそこに、大谷派という教団が門首制に対して抱えている、一種の居心地の悪さのようなものを感じる。法主の権力は否定した。しかし大谷家の権威までは否定できなかった。血統による特別な地位も残した。男系男子による世襲も残した。だから門首は、権力を抜かれた権威として残った。透明なケースに入れられた古い王冠みたいなものだ。かぶってはいけない。でも捨ててもいけない。みんなで大切に眺める。そういう、かなり微妙なものだ。

それ自体について、僕は一つの歴史的妥協として理解できなくもない。問題は、その王冠を突然「多様性のシンボルです」と言い始めたことである。これはさすがに無理がある。同朋会運動は、少なくとも理念としては、権威によって人間に上下をつけることを問い直してきたはずだ。「同朋」という言葉だって、本来はそういう方向を向いている。

ところがその教団が、血統によって選ばれ、男性に限定され、一般の僧侶や門徒には絶対に開かれていない地位を、「多様性」の象徴として前面に押し出している。これは単なる矛盾というより、かなり見事な倒錯だと思う。

僕がいちばん気になるのは、ここで「多様性」という言葉がずいぶん軽くなっていることだ。本来、多様性という言葉が教団に突きつける問いは、かなり厳しいはずである。なぜこの地位は男性にしか開かれていないのか。なぜ血統によって宗教的な首位が決まるのか。なぜ大谷家でなければならないのか。それは「同朋」という理念とどう両立するのか。女性差別を反省する教団が、自分たちの最高の象徴的地位については男系男子制を維持しているのはなぜなのか。

本来なら、「多様性」という言葉はそういう問いをこちらに向けてくる。ところが、その問いを突きつけてくるはずの「多様性」という言葉を、逆に教団の宣伝コピーとして使ってしまう。これはかなり便利な方法だ。問いを消すために、問いそのものを広告に使うのである。

しかもこれは、門首個人にとってもあまり幸福なことではないように思う。大谷暢裕という一人の人間には、ブラジルで生きてきた一人の人間としての歴史がある。それを「ほら、うちの教団は国際的でしょう」「多様でしょう」と教団の広報資源にしてしまえば、結局その人自身を一種のブランドマークに変えてしまうことになる。多様性を語りながら、人間を記号にしている。なにをやっているんだ。

そして最近、こういうことが大谷派のあちこちで起きているような気がする。言葉は立派なのだ。同朋、平等、多様性、人権、非戦。どれも大切な言葉だ。でも、その言葉と制度や行動との間をつなぐ何かが、少しずつ失われている。

僕は、門首制を今すぐ廃止しろと言いたいわけではない。残すなら残すでいい。ただ、その制度が何を背負っているのかくらいは、自分たちで覚えていた方がいいと思う。法主制とあれほど激しく争い、権威と権力の集中を問い、同朋という理念を掲げた教団なのだから。その歴史を忘れて門首を「多様性の象徴」として売り出すのは、あまりにも軽い。そして、あまりにも倒錯している。

何というか、恥ずかしくないんだろうか、と思う。

たぶん僕がいちばん怖いのは、制度の矛盾そのものではない。矛盾はどんな組織にもある。そうではなくて、かつてなら「これはおかしいのではないか」と立ち止まったはずのところで、誰も立ち止まらなくなっていることだ。言葉と現実が食い違っても気にしない。昨日まで批判していた権威を、今日は広報に利用する。排他的な制度を残したまま、多様性を語る。そしてみんな、なんとなくそれを受け入れる。

そういう精神的な規範の崩壊みたいなものが、今の大谷派のそこらじゅうで、小さな音を立てながら起きているように僕には見える。小さな音だから、たぶん聞こえない人には聞こえない。でも一度聞こえ始めると、けっこう耳につく。

そして僕は、その音を聞きながら思う。

でもこれは、私たちの教団なんだ、だから言わなければならない、と。

同朋会運動について語るときに僕の語ること

大谷派にいると、「同朋会運動」という言葉をよく耳にする。

よく、というのは少し控えめな表現かもしれない。僕の感覚では一万回くらい聞いた気がする。もちろん実際に一万回数えたわけではない。人は普通、同朋会運動という言葉を聞くたびに正の字を書いたりしない。でももし僕が十五年前からそれをやっていたら、かなり分厚いノートが一冊できていたと思う。

同朋会運動は、大谷派にとって「教団の命」なのだそうだ。でも不思議なことに、その命が具体的に何をしているのか、僕にはいまだによくわからない。「運動」というくらいだから、本来なら何かが動いているはずである。人が動くとか、社会が動くとか、権力構造がひっくり返るとか、少なくとも椅子の位置くらいは変わりそうなものだ。

ところが同朋会運動について語られる言葉のほとんどは、壮大な理念か、昔話である。「人類に捧げる教団」とか、「世界中の人間の真の幸福を開かんとする運動」とか。スケールが大きい。あまりに大きすぎて、寺に帰って何をすればいいのかがまったくわからない。

それに「人類に捧げる」と言われても、人類の側はおそらくそのことを知らない。大谷派の外で「同朋会運動」という言葉を知っている人には、ほとんど会ったことがない。世界中の人間の幸福を開こうとしているのに、世界中の人間のほうは、その運動の存在を知らないのである。

これはかなり不思議な状態だ。世界征服を企んでいるのに、町内会にも知られていない、みたいなものだ。

もちろん、昔は本当にすごかったのだろうと思う「私は同朋会運動に育てられました」と語る人にも何人も会った。彼らはどこか懐かしそうな目をして、若いころの話をする。先輩と夜通し語ったとか、酒を飲んだとか、教区の研修会で激しく議論したとか。それを聞いていると、学生運動を経験した老人が「あの頃はよかった」と話している光景が、ときどき頭に浮かぶ。

僕はそこで一つ疑問を持つ。あなたは同朋会運動に育てられた。それはよくわかった。ではあなたはいま、誰かを同朋会運動で育てているのだろうか。

答えは返ってこない。過去形として語る言葉は雄弁だが、現在形になると、急に話がぼんやりする。

「では、あなたにとっての同朋会運動とは何ですか?」

と聞く。すると、

「それを問い続けることが同朋会運動なのです」

という答えが返ってくる。

僕たちはこうして最初の場所に戻る。地下鉄の環状線に乗ったまま、誰も降りる駅を決められないみたいに。

ある宗教紙の記者が、「同朋会運動を語ることが同朋会運動なんじゃないですか」と言ったことがある。ずいぶん失礼な発言だ。でも大谷派の人たちは、あまり怒らなかった。たぶん心のどこかで、「まあ、そうかもしれないな」と思ったからだろう。

もちろん本当に何もしていないわけではない。

聞法会を開いている人もいる。学習会を続けている人もいる。困っている人を支える活動をしている人もいる。地域で地道な仕事をしている僧侶も門徒も、たくさんいる。

でも不思議なことに、そういうものが「これこそ現代の同朋会運動です」と紹介されることはあまりない。現実に動いているものほど同朋会運動と呼ばれず、同朋会運動について語っているものほど同朋会運動と呼ばれる。なぜかはよくわからない。

もともと同朋会運動は、形骸化した教団を、もう一度生きた信仰の運動へ戻そうというものだった、と僕は理解している。ところが六十年経ってみると、その同朋会運動そのものが、教団でもっとも見事に形骸化してしまった。

これはかなり完成度の高い冗談だ。問題は、その冗談を冗談だと言えないことである。同朋会運動を否定すれば、教団の戦後史そのものを否定することになる。だから誰も本気で触れない。そして最後には、

「これからも同朋会運動とは何かを問い続けていかなければならない」

という立派な結論になる。また最初の駅だ。六十年間、電車は環状線を走っている。

「家の宗教から個の宗教へ」そんな言葉もあった。

ところが今では「ゼロ歳児からの帰敬式」なんてことをやっている。まだ自分が猫になりたいか消防車になりたいかさえ決めていない人間に、宗教的帰属を与えようというのだから、これはずいぶん大胆な「個の宗教」である。

「封建的権威からの脱却」という話もあった。

しかし現在の宗門は、封建的な権威をむしろシンボルとして前面に押し出そうとしているように見える。同朋新聞にはその本の宣伝がデカデカと載り、それだけでは足りずに京都新聞に見開きの企画広告まで出す。

僕はそれを眺めながらコーヒーを飲み、「これ、同朋会運動が批判していたものじゃなかったっけ」と思う。

けれど偉い人が挨拶すると、相変わらず、「同朋会運動をさらに推進し」と言う。

この人たちは同じ同朋会運動について話しているのだろうか。あるいは「同朋会運動」という名前の、まったく別の二つのものが存在しているのかもしれない。一つは、権威主義や家制度や教団の自己目的化を問い直す運動。もう一つは、偉い人が挨拶の最後に言う言葉。後者のほうが、現在ではかなり強い。

革命にはよくある話なのかもしれない。革命を起こした人たちは、やがて「革命」を権威にする。そして次の革命を、「革命の精神に反する」と言って潰す。昔、そういう国があった。ソビエト連邦という名前だった。

ひょっとすると、本気で同朋会運動をやることは、大谷派にとってかなり危険なのかもしれない。本当に「封建的権威からの脱却」を始められたら困るし、本当に「家の宗教から個の宗教へ」を徹底されても困る。さらに「教団を人類に捧げる」と言って、教団そのものの権力や財産や制度を問い始められても困る。

だから一番安全なのは、同朋会運動を実行することではなく、「同朋会運動とは何か」を考えることである。会議室に人を集めて、お茶のペットボトルを置き、曽我量深とか清沢満之の言葉が印刷されたプリントを配り、そして三時間「同朋会運動とは何か」を問う。

もちろん、答えは出ない。そのことに安心して、「だからこそ、問い続けることが大切なのです」と締めくくる。完璧なシステムだ。そして次年度も同じ研修会を開催できる。

たぶん百年後も、大谷派のどこかの会議室で誰かが言っているのだろう。

「いまこそ、あらためて同朋会運動とは何かを問い直す必要があります」

と。

同朋会館の飲酒問題

私は十五年ほど前から、真宗大谷派という教団に身を置いています。

真宗大谷派には、教団の中心的な研修施設として「同朋会館」があります。そこには全国各地から門徒の方々が「奉仕団」として集まり、仏法の話を聴き、座談をし、清掃奉仕をしながら、数日間をともに過ごします。私自身も、これまで何度も同朋会館を訪れ、その場に身を置いてきました。

同朋会館では、当然のこととして飲酒は禁止されています。喫煙についても、所定の場所でのみ認められています。宗派の研修施設であるという性格から考えても、また現代社会における安全管理や公共性の基準から考えても、これはきわめて当然の規則です。入館時にはそのことが案内され、参加者はその規則に同意したうえで研修に入ります。

ところが現実には、その禁酒の規則が厳格に適用されるのは、ほとんどの場合、奉仕団の参加者に対してだけです。

「補導」と呼ばれる、奉仕団を指導し、生活を支え、研修を世話する立場のスタッフがいます。補導は職務としてその場に関わっており、もちろん有給の立場です。しかし、その補導たちが、しばしば同朋会館を飲酒の場としてきた現実があります。

補導仲間で会館の中で酒を飲むこともあります。研修中であるにもかかわらず、仕事を放り出すように外へ飲みに行くこともあります。翌日の晨朝、つまり朝のお勤めに、二日酔いで酒の匂いを漂わせながら参加する人を見たこともあります。

もちろん、多くの人が関わる場であれば、規則を逸脱する人がまったく出ないとは言えないでしょう。しかし、この問題は単なる個人の逸脱ではありません。現実には、補導の飲酒はほとんど一つの文化のように定着してきました。補導の人たちが同朋会館に集まり、補導自身の研修会を行う際には、たくさんの酒が持ち込まれ、そのまま宴会が始まることも珍しくありません。研修の講師が、ルールを破って飲酒したことを武勇伝のように講義中に語ることもあります。悲しいことですが、それが現実です。

このような状況に対して、「これはおかしいのではないか」と声を上げた人は、私の知る限りでも何人かいました。しかし、その声が真剣に受け止められたとは言いがたいのです。むしろ、「そんなことは当然ではないか」と言わんばかりの対応をされたり、逆に問題を指摘した側が非難されたりすることもありました。その結果、居場所を失っていった人の姿も、私は見てきました。

この問題は、単に「酒を飲んだ」「規則を破った」というだけの話ではありません。

同朋会館とは何のための場なのか。補導とは、いったいどのような責任を負う立場なのか。参加者には禁じられていることが、なぜスタッフの側では当然のように許されてきたのか。そして、そのことを「おかしい」と言う人が、なぜ逆に居づらくなってしまうのか。

そこには、真宗大谷派という教団が抱えている、より深い問題が表れているように思います。

少し長くなりますが、同朋会館における補導、すなわちスタッフの飲酒問題について、私なりに論点を整理し、皆さんに問題提起をしたいと思います。

1 規律の二重基準・言行不一致の問題

一番はこれです。同朋会館では、研修者に対して飲酒が禁じられています。にもかかわらず、その研修生活を支える立場にある補導が飲酒しているとすれば、そこには明らかな二重基準が生じます。

研修者には規律を求めながら、補導は内輪の慣習として例外的に飲酒していることになります。これは、「支える側は許される」という特権意識につながり、研修施設としての規則の正当性を損ないます。

2 補導の責任と安全管理の問題

補導は単なる参加者ではなく、研修者の生活を支え、相談に応じ、場の安全と秩序を保つ役割を担っています。

研修中には、急病、精神的な不安、参加者同士のトラブル、夜間の相談などが起こる可能性があります。例えば夜間に急病人などが出たときに、補導が飲酒していたら致命的な対応の遅れにつながる可能性があります。

3 同朋会館の理念との矛盾

同朋会館は、単に教義を学ぶ施設ではなく、生活をともにしながら、「同朋」として仏法を聞く場であるはずです。

しかし、研修者には飲酒を禁じながら、補導側が飲酒を続けているなら、そこには「同朋」ではなく、上下関係と内輪の特権が現れていると言わざるを得ません。

同朋会運動が問うてきたのは、権威主義や差別性、建前化した宗教性ではなかったでしょうか。にもかかわらず、補導自身が「自分たちだけは例外」というあり方を続けるなら、それは同朋会館の理念を内側から空洞化することになります。

4 内輪文化・組織の自浄能力の問題

補導の飲酒が後を絶たない背景には、「昔からそうだった」「少しくらいならよい」「懇親も大事だ」という内輪のなれ合い文化があると考えられます。

問題を指摘する人がいても、「細かいことを言うな」「空気を読め」「場を壊すな」と受け止められるなら、その組織は自分たちを問い直す力をまるで失っていると言わざるを得ません。

5 問題飲酒・依存症への無理解

同朋会館に来ると飲酒をやめられない人がいる場合、それは単なる酒好きではなく、飲酒のコントロールが難しくなっている可能性があります。にもかかわらず、補導の研修会で当然のように酒が出るなら、教団自身が依存を助長する場を作っていることになります。

これは本人にとっても、周囲にとっても危険です。宗教教団であるなら、人間の弱さや依存の問題にもうすこし敏感であるべきです。

6 飲酒が引き起こす社会問題への無関心さ

この問題は「同朋会館の規則に違反している」というだけでなく、飲酒という行為が社会的にどれほど多くの問題を生んできたかへの自覚がない、という問題でもあります。

アルコールは、個人の健康問題だけでなく、事故、暴力、家庭問題、職場トラブル、ハラスメント、貧困、孤立などと深く結びついています。

ですから、宗教的研修の場で飲酒を軽く扱うことは、単に「ちょっと羽目を外した」という話ではありません。飲酒によって苦しんできた人、家族の酒害に傷ついてきた人、暴言や暴力やハラスメントを受けた人、依存症から回復しようとしている人が、その場にいる可能性があります。そうした人たちにとって、補導が当たり前のように飲酒する場は、安心して身を置ける場ではなくなります。

大谷派は、社会的差別、戦争責任、被差別部落、ハンセン病、靖国、原発、貧困、ジェンダーなど、さまざまな社会問題に向き合う言葉を持ってきました。しかし飲酒については、批判的に見つめる視点がほとんど存在しません。

7 飲酒環境を美化する問題

さらに問題なのは、大谷派では飲酒が「腹を割って話す場」として美化されやすいことです。しかし、それは本当に聞法の場にふさわしいのでしょうか。

酒が入らなければ本音で語れない。
酒席がなければ関係が深まらない。
飲むことで仲間意識を確認する。

こういう文化は、実はかなり排他的です。飲めない人、飲まない人、酒害の経験がある人、依存症から回復中の人、未成年、若い参加者、女性、ハラスメントを警戒する人を、静かに周縁化して排除します。

つまり、補導の飲酒問題は、酒を飲む人の自由の問題ではなく、飲酒文化によって傷つけられる人の存在を見ていないという問題です。

そして同朋会館が本当に「同朋として出遇う」と言うなら、飲酒をめぐる社会的加害性にも敏感でなければならないはずです。

―――――――――

以上、私なりに論点を整理してみました。

飲酒の問題は、単に個人の嗜好や節度の問題にとどまるものではなく、ハラスメント、暴力、依存症、排除、場の安全性など、さまざまな社会的問題と深く関わっています。だからこそ社会は長い時間をかけて、飲酒がもたらす影響と向き合い、そのあり方を問い直し、環境を整備してきました。

しかし、少なくともこの問題に関して、真宗大谷派は全くといっていいほど向き合えていません。原発や差別や靖国といった問題への熱量と比べると、ほとんど無関心といってもいいくらいです。

この小論が、同朋会館に関わる皆さんにとって、補導のあり方、研修の場の安全性、そして「同朋」とは何かを考え直す一つのきっかけとなることを願っています。

そして、この問題について、誰かを排除したり責め立てたりするのではなく、健全で率直な議論が起こることを、心から願っています。

「ラヴ阿弥陀仏」について思う。

私たち真宗僧侶の間でちょっとだけ(まあ局地的なんだけど)話題になっているものがある。それは、これ。

ラヴ阿弥陀仏、阿弥陀仏はこんなこと言わないよね、というセリフばかりが並んでいる。

 

「ラヴ阿弥陀仏」という。南無阿弥陀仏のパロティなんだろう。真宗教団連合が主催している「ごえんさんエクスポ」の中で行われたもの。なんだか阿弥陀さんがホストクラブのホストみたいなイメージで描かれている。

宗教って常にこの手の問題を抱えていると思うのだけど、それは信仰の対象をなにかの表現に使うのに、どこまでが表現の自由として許されるのかということ。

例えばシャルリー・エブド事件なんか有名で、イスラム教の預言者ムハンマドを風刺的に描いたことをきっかけに、ムスリムから強い反発が起こり、2015年には編集部が襲撃されて12人が犠牲となった。

ja.wikipedia.org

あるいは、アンドレス・セラーノの「Piss Christ」なんてのもあった。

artnewsjapan.com

他にも身近なところでは、「聖☆おにいさん」というマンガに描かれたキリスト像に牧師さんがかなり激しく反発していたのをネットで見たことがあるが、残念ながら今調べても見つからない。

こうしたものと、この「ラヴ阿弥陀仏」はだいぶ違うところがある。一つは、何かの問題性への風刺や表現への挑戦といった、「そうしなければならない」という意図と覚悟が全く見られないこと。主催者の人はそんなことはないと言うのかも知れないが、私からはただのおふざけにしか見えない。「宗教への冒涜」というより「信仰対象の消費・軽薄化」と言えるもので、なにか変わったことをして人集めをしたいという以上のものは、残念ながら感じない。

そして、これをやっているのが他ならぬ当事者である浄土真宗の僧侶であるということ。宗教的価値観の外部からこうした表現をしているのではなく、同じ信仰を共有する内部の人がやっているわけだ。そりゃ、同業者からしたら「お前何やってんだ」という話にもなる。

最後に、これって誰かが勝手にやっているのではなく、「真宗教団連合」という公益性のある組織のオフィシャルなイベントとして、それなりの浄財が使われてやっているのだ。そんなこんなで、この「ラヴ阿弥陀仏」について強い反発を感じる人が出てくるのも理解できる。(僧侶が運営する企画会社に相応の対価が払われており、企画はボランティアでなされているのではありません)

中には反発している人に対して、「めんどくさい人」「あなたは対象外」「寂しいんだろ」なんて侮蔑的な投稿をする人も出てきた。やれやれ。

日本ではこうした宗教的表現を茶化すような行為に対して、寛容な態度を示すことが美徳とされる文化があるように思う。逆に不快感を示す人に対しては排他的であり不寛容であるとレッテルを貼るような、そんな空気があると思う。

そして、大多数は楽しんでいるし気にしないということで、少数の人の痛みや不快感は軽視されてしまう。これってどうも差別問題に似ている。

差別的な属性を茶化したりネタにして、それで沢山の人が笑って楽しんだとしても、それに不快感を示す人は当然いるのだ。そうした人に「いや、君は対象外だから、自分だけ楽しめなくて、さみしい気持ちもわかるけどさ」と言う人がいたら、そりゃおかしいだろう。(というか、仏教ってそんな教えじゃないよね)

何かのネタで排除されたり不快に思ったりする人が少しでもいたなら、それはやめるべきだという社会的合意を、私たちは長い時間をかけて作り上げてきたはずだ。少なくとも、オープンな場では。

だからもし、たとえ一部の人が不快に思ったとしても、どうしてもそこを乗り越えて表現しなければならないことだったならば、不快に思うであろう人たちに対して配慮して、それでもこの表現でなければならないことへの覚悟と十分な説明が必要になる。

同様に、誰かが限りなく尊重している宗教的シンボルを茶化したりネタにすることについても、当然にそうした配慮が必要になると私は思うのだが、この「ラヴ南無阿弥陀仏」にはそんな姿勢は全く見られない。もちろん、覚悟も説明もない。ただ、ひたすら軽いだけだ。軽薄と言ってもいい。

これでいいのかなぁとはちょっと思う。こういうのが好きな人たちが勝手にやっているのならそこまで気にはならないのだけど、これって私のいる宗派の本山の前でやってるのだ。残念だし、やめてほしかったなとは思う。お前ら対象外で関係ないからほっておいてくれという話じゃないんだ。うちの本山なんだよ。

さて、昔から「仏教の敷居を下げよう」みたいなことが言われていて、ここまではっちゃけたものでなくても、この手のイベントは割と多い。それが悪いとは言わないけど、僧侶が仏教以外のことをして話題性を作って人を呼ぶ、みたいなのがあまりに多いように感じてしまうのだ。

例えば酒を飲んだり、あるいは音楽をやったり、今回のは恋愛相談だけど。そんなのは一時的に人は来るかも知れないけど、結局のところ仏教を求めている人は来てもそう多くないだろう。多くの人を呼ぶ入口になるかも知れないけど、それはそのまま出口としても機能してしまうように思う。

私たちは「お寺に人が来ない、だから敷居を下げよう」とか思うのだが、お寺に人が来ないのは敷居が高いからではなく、そこに仏教がないからである。ちゃんと仏教の話をしていたら、数は少ないかもしれないけどちゃんと人は来るのであって、それで十分じゃないか。

でもそうは思ってくれないのだ。「仏教+ナントカ」みたいなことをしないと、来ないと思っている。これは宗派や教区なんかでもそうですよ。知識人や文化人を呼んできて「仏教x〇〇」みたいなのばっかりやってるから。

そういうのが要らないとは言わないけど、その先がすっからかんなんですよね。もっとストレートに、仏教の話をしたらいいのに。ずっとそう思っている。

従順で、しかも利口な思想

 ひとはしばしば、〈われ〉と世界とのくい違いを知って身ぶるいし、これはどうにかしなければいけないと考える。たとえば、真夜中、恐ろしい夢魔になやまされながら横たわっているとき、われわれは自分を守ってくれる堡塁(ほうるい)が崩れ落ち、深淵がかっと口を開いているように感じる。しかし、こんなときでも、われわれは「その苦悩の底に生命がひそみ、自分もその生命に立ち戻ることができる」という意識を持つことができるのである。

 しかし、そうなるにはどうしたらよいか。どうしたら……。われわれはこのようなとき、とつおいつ思案にくれる。そしてそのうちに、われわれは自分を犠牲にすれば、逆転に通じる真の道のあることを、心の暗い奥底において知るのである。しかし、それにもかかわらず、われわれはこの事実を無視してしまう。第一、心の内部の「神秘的な幻」は、電気の光にはとうてい耐えられないのである。そのため、われわれは、このような考えをすて、日常生活で非常に信頼を寄せている思想に援助を求める。すると思想はわれわれに、精神的危機はどこにも存在せず、万事はうまく運んでいるるという安易な気持ちを起こさせてくれるのである。実際、思想はこの世が頼りになり、それを信頼しても大丈夫だという絵空事を描いてくれる。これこそ、思想の高等技術なのである。われわれは、こうした思想にむかっていう。

「わしの目の前には、残酷な目つきをした怪物が長々と横たわっている。――こやつはかつてわしの遊び友達じゃった。知っての通り、こやつは昔、この目でわしのを見て笑ったものだ。その時分、その目つきには善意がこもっていた。ところが、この惨めなわしは、正直にいうと、いまは空っぽだ。わしはものを体験し、利用するようになったおかげで、世界から自分になにをつぎこんでも、その空虚(むなしさ)は充たされん。まことに相すまんが、お前は世界とこのわしの間に立って、わしたちをもとの仲に戻してはくれんじゃろうか。そやつがやすらかに横たわり、またわしが生き返ることができるようにしてはくれんじゃろうか」。

 従順で、しかも利口な思想は、これを聞いて、待ってましたとばかりにものすごいスピードで、一列――いや二列の画を左右の壁に描く。その一方は宇宙がある(いや、あるというより、むしろ宇宙が展開されるといった方が正しいだろう。なぜならば、思想が描き出す世界像は、信用における映画のようなものだから)。この宇宙のなかで、ぐるぐると廻っている星から小さな地球が飛び出す。その地球上には生物がうようよと群がり、今度はそこらちっぽけな人間が飛び出す。歴史はその人間どもを何代も何代も先まで運んでゆく。そして、歴史がその足でめちゃめちゃに押し潰した文化の蟻塚をかれらに造り直させる。こうした一列の画の下には、「どれもこれも皆ことごとく」という言葉が書かれている。つぎに、別の壁には、一列の画に魂の誕生が描かれている。一人の紡ぎ女が、すべての星の軌道と、すべての被造物の生命と、さらに宇宙の歴史を織っている。彼女は一本の糸によってこれらすべてのものを織りなしてゆく。だから、そこにはもはや、星も被造物も宇宙もなくなり、あるものはただ、個人の感覚と表象と体験、あるいは魂の状態だけになってしまう。そして、これらの画の列の下にも「どれもこれも皆ことごとく」という言葉が書かれている。

 さて、思想がこうした二種類の画を描いてくれてからというもの、われわれは、〈われ〉と世界とのくい違いにおそれおののくとき、あるいは世界がわれわれの心に恐怖をひき起こしたときには、ただちに右手なり左手なりの画からは、自分が世界の中に埋められてしまったため、〈われ〉なるものの存在が消滅し、したがって世界はもはや〈われ〉をどうすることもできないということを知って、安堵の息を洩らす。あるいは、われわれは別の画から、世界が〈われ〉のうちに宿るがゆえに、世界は実は存在せず、従って世界は〈われ〉をどうすることもできないことを知って、これまた安心するのである。このようにして、われわれは〈われ〉と世界のくい違いに身震いしたり、世界が自分の心のうちに恐怖をひき起こすときには、いつでもただちにこれらの画を眺めるのである。この場合、どちらの列の画を見ようと、そんなことは問題ではない。なぜなら、そのときには、空虚(うつろ)になっている〈われ〉は世界によって完全に充たされているか、それとも世界の流れによって完全に押し流されているからである。そうなったとき、はじめて、われわれの気持ちは安らぐのである。

 しかし、いつの日か、われわれが現実におそれおののきつつ、双方の画の列を一瞬同時に眺めるときが来るであろう。いや、その日の来るのは間近い。そして、そのときこそ、今までにないあたらしい戦慄が、われわれの全身をとらえるのである。

(マルティン・ブーバー『汝と我』野口啓祐訳)

旧統一教会(家庭連合)、東京高裁の解散命令から考えたこと

2026年3月4日、東京高裁は地裁での判断を支持し、旧統一教会(家庭連合)に解散命令を出した。

私は昨年、半年かけて現役の二世信者たちや、旧統一教会の幹部にインタビューをして、「統一教会・現役二世信者たちの声」という本を出した。執筆後も緩やかに彼らとは繋がっていたので、清算人が各地の教会に入り信者を退去させている状況を聞くと、やはり胸が痛む。昨日は仕事で北九州に行っていたのだが、現役信者、脱会者、記者などとメールや電話でやりとりをして、それだけでほとんど一日が過ぎてしまった。

高裁の判断は、簡単に言えば彼らがコンプライアンス宣言後に、あるいは安倍元首相銃撃事件の後に行った改革は解散逃れのためのものであって、根本的な教団の体質は変わってないのだから、これ以上の被害拡大を防ぐには教団の解散はやむを得ないというものだった。

私は…教団の中でも自分たちは抜本的に変わらなければならないと考えて、必要な対策を真剣に考え、再発を防止するための構造的な改革に取り組んでいた人たちを知っている。それが十分であったかどうかはともかく。自浄能力が全くないかといわれたら、そんなことはないと感じる。

しかし、やはりそこには決定的なものが欠けていて、そのことは彼らの声を直接に聞いて、ある程度彼らの立場に立って考えることのできた自分でもはっきりわかった。もちろん、高裁判断でもそのことは触れられている。

つまり、自分たちは確実に悪いことをしたのであり、それによって現実に苦しんだ人たちがいたという事実を、彼らはどうしても認めることができなかった。被害者に返金することはあっても、苦しんだ人たちに心から謝罪することができなかった。

形だけでもそれができたのは去年の12月であり、事件からおおよそ3年半が経っていた。流石に、遅すぎたと思うし、いささか打算的でもあった。

もちろん、個人個人の信者と対話したら、苦しみを与えた人たちに謝りたいと、真摯に言う人はいた。でもそれが全体の意思になるには時間がかかりすぎた。

事件後に彼らが訴えたのは、謝罪よりむしろ、自分たちは悪くないというアピールだった。

彼らは脱会して教団を訴えた人たちを、背教者と言った。

教団から受けた苦しみを証言した人を、SNSなどで攻撃した。その証言には事実より過大な部分がもしかしたらあったのかも知れない。でも、決してやっていいことではなかった。

教団の問題性を追求していたジャーナリストや弁護士を訴訟し続けた。私もそれらの人たちの態度や、報道の正確性に疑問を持つこともないではなかった。でも、そんなことをしてなにかいいことが一つでもあっただろうか。

信者たちで大量のSNSアカウントを作り、教団を批判する人たちをサヨクとか共産主義者とレッテルを貼り続けた。

若い二世信者を街頭に立たせ、また様々な寺や伝統的なキリスト教の教会などを周り、あるいはシンポジウムなどをひらいて、信教の自由を訴えた。しかし、今回の解散請求はあくまで法人に対して出されているもので、信教の自由の問題ではないことは、よく考えればわかることだった。

脱会した人は拉致監禁されて強制的に棄教させられた人で、それらの人たちが弁護士などにそそのかされて教団を訴えたのだとした。そういう人もいたかも知れないが、そんな人ばかりではないことを知ろうとしなかった。

そうした活動は内向きには彼らの結束を高める効果はあったかも知れない。しかし外に向かってその声はほとんど届かなかったといっていい。そんなことは彼らだって薄々感じていたと思うが、始めてしまった以上、やめられなかったのだろう。

彼らは一貫して自分たちは被害者だと訴え続けた。私はそういう彼らの訴えに同情する思いも少しある。確かにマスコミの反応は過剰だったと思うし、嵐のようなバッシングは見ていて辛かった。自民党はあっさりと彼らを見捨て、学校や職場で差別される信者も出てきたが、世間がそうした彼らの苦しみに目を向けることはなかった。

しかし、それでもなお、私は思う。彼らが本当にやらなければならないことは、被害者になることではなく、加害者として自分たちの過去の過ちを真摯に見つめて、苦しんだ人たちに謝罪することだった。返金ももちろん大事だが、過ちを認めて謝罪することが必要だった。

それがどうしてもできなかったのだ。それがどんなに難しいことかは私もわかる。ある幹部は「瓜生さんの言いたいことはわかるが、私たちはいま裁判で闘っている。それは無理なんです」といった。でも本当に謝ることができたら、たとえ裁判で負けたとしても、教団にとっては決してマイナスにはならないし、かえって彼らの再生を後押ししたと思う。

謝罪すべきだと考えている人だっていた。しかし全体としてはその流れにはならなかった。内心、それを認めたら自分たちの信仰そのものが崩壊してしまう、といった危機感もあったのかも知れない。それはとても勇気の必要なことだから。

別に表向きだけでもいい、打算的でもいい、謝罪するべきだった。そうやってしっかりとした態度を外に出して動いていれば、いずれは組織のマインドもそうなっていくものだから。

そういえば、私のいる真宗大谷派だって、戦争に協力したことへの反省を表明できたのは戦後半世紀経ってからだった。彼らに与えられた時間はあまりに短かったのだろうか。

文鮮明は晩年、教団組織の解体を望んでいたと聞く。どこまで本気だったのかはわからないが、一つ一つの家庭に信仰が伝えられていけば、教団はいらないのだと考えていたらしい。自分が作り上げ巨大な集金組織になった教団に、複雑な思いを抱いていた、くらいのことはあってもおかしくはない。

教団がどうなるのか、天地正教に移行するのか、あるいは任意団体として存続するのか、それはわからない。

信徒にとってはあまりに大きな出来事だろし、軽々しくは言えないことだが、本来の宗教や教団がどうあるべきかを考えるまたとない機会でもあるとおもう。これから、家庭連合の人たちが、どのような道を歩むのか、見届けていきたい。