ねこねこふわふわな住職

真宗大谷派玄照寺 瓜生崇のブログです

岡林俊希さんの問題提起にお答えします

みなさんこんにちは。私は東近江市にあります真宗大谷派玄照寺の住職をしております瓜生崇と申します。

実は、私の法話についての問題提起を、浄土真宗本願寺派の岡林俊希さんが書いてくださいました。

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内容についてはお読み頂ければわかるかと思いますが、かいつまんで言うと、私の法話本願寺派の安心論題では疑心往生という異議・異安心であると、岡林さんは言いたいようです。

このことは友人から聞いていましたが、私としては特に取り上げる必要は感じませんでしたし、読んでもいませんした。なぜならそもそも私は本願寺派ではないので、あなたは本願寺派では異安心なのだと言われても、それに積極的に応じる意味を感じられなかったのです。おそらく岡林さんが仮に「あなたは大谷派では異安心だ」と言われても同様に感じたのではないでしょうか。

ちなみに私が浄土真宗の救いをどのように受け取り、その根拠は聖教上のどの言葉に基づくのかは普段から話をしておりますし、Youtubeでも発信しています。実は先日の配信で、岡林さんの問題提起から生じたと思われる質問に応答しました。この時点で私は岡林さんの論考をよんでいませんでしたので不完全なところはありますが、教義解釈的にはあらかたお答えしていると思います。

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本願寺派の教義安心と私の主張

さて、ならばどうしてこれを書くことになったのかというと、氏の論考を読んだ方から、これが本当に私の主張なのか、また岡林さんの主張は本願寺派の正当な解釈で、これ以外の解釈は異安心として排斥されるのかと質問があったからです。それにお答えするために、私も重い腰を上げて読んでみました。

一読して「私の言っていることを誤解しているか、ちゃんと聞いてくれてないな」と思う部分が随分ありました。それについて、あくまで本願寺派の教義解釈の話ですから、本願寺派の諸師の見解を仰ぎつつ確認してみます。

まず1つ目、岡林さんが上げる、「瓜生の異議」(私の発言を岡林さんが切り取って異議として批判しているもので、かならずしも私の主張そのものとは言えませんので、カッコ付きで「瓜生の異議」としています)はこれです。

・瓜生師は凡夫の疑いがなくならないという親鸞聖人の根拠を示す
・無上上は真解脱 真解脱は如来なり
 真解脱にいたりてぞ 無愛無疑とはあらわるる (諸経讃)
(これは疑心往生説をとなえる人がよく出す根拠で、ここの疑は例外で本願を疑う心ではなく煩悩の意味とされる。聖人のご著書では信を得れば疑心はなくなるとされるところの方が圧倒的に多い。聖人は信心をうたがいなき心、無疑心とされる)

についてですが、実はこれは梯実圓和上(本願寺派碩学)が仰っていたことなのです。

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本願を疑いなく受け入れるということは、これ実は私に出来ることではない。

人間の特徴は計らうことが特徴。計り知ることとは分別して、これはこれ、あれはあれと分けて、間違っている正しいと決定して、決定に向かって行動していく。これが人間の心ですから、人間の心は分別を本質としている。自分の分別をまじえないで受け入れるというのは不可能です。

信心はどこで成立しているのかというと、疑いのない心というのは如来にしか無いのだと親鸞聖人は言い切ってしまう。

和讃に、「真解脱は如来なり 真解脱にいたりてぞ 無愛無疑とはあらわるる」とある。つまり煩悩が完全にないという状態と、疑いが完全にないという状態は、ただ如来にのみあることで、人間にあることではない。

人間にあることでないはずの無疑が人間にもたらされるのが本願の信心なんだ。信心は人間が起こせるものではなくて、如来から賜った心なのだ。

人間の心はどれだけひっくり返したところで、疑いなき心は出てこないんだ。したがって信楽というのは、如来の上にだけあることなんだ、というんです。(太字は筆者)

書き起こしているのは要点だけですから是非実際の動画を見てください。また、同じ梯和上の講義録「化巻」「三経通顕(真仮分判)」では、

私が「疑い無くなろう」なんて幾ら考えてもそれは無理です。人間の心は疑いの塊みたいなものですから、だからそんな人間の心を疑い無くしようと思ったって、それは無理というものです。死ぬまでその心の性は無くならないのです。それが人間の心の持ち前なのです。ですからどうしようもない。その自分の心をチャンと疑いのない綺麗な心にしろなんて仰ってはないのです。ですから疑いのない心というのは自分の方に見たらダメです。

それを「信は仏辺に仰げ」と言うのです。信心は仏様の側に仰ぐのだと。信心は自分の方にありながら仏のものだから信は仏辺に仰げというのです。そして反対に「慈悲は仏様の側に見るのではない」というのです。如来のお慈悲といったら仏様の方を見ようとする。だから解らなくなるのです。

ここには岡林さんが私を異議と断じている根拠がすべて入っています。ならば、梯和上は異義なのでしょうか。もちろん発言の一部だけ切り取ってしまえばそうも言えるかも知れませんが、違いますよね。太字の部分を読めばわかるように、和上は「信心は如来の上にあるのだ」と仰ってるだけなのです。

そして私も同様に、「凡夫の疑いがなくなるのが信心ではなく、如来から真実心である名号が届いたことを信心という。その名号を聞くという一念において、凡夫の身に『疑心あることなし』という信心が成就する」と、事あるごとに話しています(おそらく何千回と言っています)。

そこを意図的に省いて論じるのは悪意すら感じられますし、私は「疑いあるがままで往生する」と言ったことは一度もないので、疑心往生の異議と言われても困るのです。

他に指摘されている「瓜生の異議」としては、

・本願を信じているという人は、自分で自分の心をながめて正しいと思っているだけ。

この岡林さんの取り上げ方もずいぶん断章的かつ作為的すぎると思います。おそらく岡林さんが取り違えているのは、稲城選恵和上(本願寺派碩学)の言葉を借りれば、

他力の信心の性格は、自らの側に「体」の存しないところに特異性があると思われる。このことも全く、常識の上では理解出来得ないであろう。一般に信ずるとか、信仰するということは、信ぜられる対象に向かって間違いないと思っていること、確信していることであると思われる。しかるにこの思っている自己がたすかることに直接するならば、自らの心のはたらきを媒介とすることとなる故に、自力の信心である。才市の歌に次の如きものがある。

「胸にさかせた信の花、弥陀にとられて今ははや、信心らしいものはさらになし、自力というても苦にならね、他力というてもわかりゃせね。親が知っていれば楽なものよ」

彼のこの句をみると、いかに自らの側に「信心」という「ものがら」を作ることに力をいれたかがわかる。この自らのかためたものがすべて他力の法の前では否定されるのである。それ故、他力の信心といわれるのは、信心という限り機受の側でいうのであるが、それは相であって、体ではない。稲城選恵『真宗安心の根本的問題』)

ということであって、真実信心とは、本願力によって回向された名号が私に届いている相であって、根拠は名号にある。どれだけ「お念仏を喜びありがたいと思っている」とか、「信知していると思う」と言っても、その思いそのものは真実信心ではないですよ、と言っているのであって、その文脈のごく一部を切り取られたにすぎません。

もう一つ岡林さんの指摘する「瓜生の異議」を論じましょう。

如来様は無分別のお方であるから、一切の差別をされない。信じる・疑うという人の心の状態で救いを分けるはずがない。

ここは、教行信証に、

疑・愛の二心、了に障碍無からしむるは則ち浄土の一門なり。未だ始めて間隔せず。弥陀の洪願、常に自ずから摂持したまう。必然の理なり。(信文類)

とあるところを私が解説したことについて言っているのでしょう。これについては私が説明するよりも本願寺派碩学の言葉を引用しておきます。

「かっていまだ聞かず。自弊自蔽をもって説をなすことあるものを、得るによって以てこれを言う」という誇らしげな自信ある言葉。また「ただ疑愛の二心ついに障碍なからしむるは、則ち浄土の一門なり。いまだ始めて間職せず、弥陀の洪願つねに自から摂持したまう。必然の理なり」かくいいきる願への絶対の信。愛着は出離をさまたげ、疑いが聞法のさまたげとなるものであるが、しかしこれらの疑愛の煩悩も弥陀の洪願はいだき包んでしまうのである。この本願の洪大さをわたくしたちはじっくりと味いたい。疑・愛もまた他力回向の真実の信をさまたげることはできないのである。親鸞は誇りと自信をもってこの句を書いたに相違ない。(星野元豊『講解教行信証』)

補足すると岡林さんも「無差別平等の智慧のはたらきを、自分の分別でさえぎっていることを親鸞聖人は疑心といわれるのです。差別をしているのは誰かということをよくよく考えることが大切だと思います」と書き、如来は無差別平等であり差別はされない、分別心で差別しているのは衆生の方だと示しているのですから、特に私の言っていることと相違するようには思えません。如来は無分別ゆえに差別しないのです。※

なお、何度も「本願寺派碩学」という表現を使いました。こうしたやり方は権威主義的で好きではないのですが、「本願寺派の教義安心」を論じる場であることを強調するためにあえて使っています。ご容赦ください。

※ 付け加えると、「異安心」と差別するのも常に人間がやることであり、そもそも「異安心」という言葉自体が浄土真宗の経典にも聖教にも存在しないのですが、それを言ってしまうとこの記事そのものが成り立ちませんから、「本願寺派宗学と異なる教義解釈」と仮に定義することで議論をすすめています。

岡林さんの論への疑問

さて岡林さんの論でいくつか疑問に思うことがあります。一つは、

聖人のご著書では信を得れば疑心はなくなるとされるところの方が圧倒的に多い。(岡林氏論考)

とあるところです。真宗教学に詳しい方ならすぐこの誤謬に気づかれると思いますが、親鸞聖人の書かれたものに「信を<得れば>疑心はなくなる」と読めるところは、実はあまりないのです※1。なぜなら、

「信心」は、如来の御ちかいをききて、うたがうこころのなきなり。(一念多念文意)

とあるように、信心とは無疑そのものだからです。つまり「信心」を頂いて「無疑」となるのではなく、この2つは同じものです。信心は「至徳の尊号を其の体とせる」(信文類)とあるように名号そのものであり、それが「疑蓋、雑わること無し」(同)なのです。

これは私は法話や講義のたびに幾度も説明していることで、稲城和上が

他力の信心は自らのはたらく間隙は全くあり得ない。名号をそのものを信の体とするからである。それ故、間違いのないのは自らの理解しているものではなく、名号法そのものである。稲城選恵『最近における真宗安心の諸問題』)

というそのことです。

この「信心」の体と相を混同する誤解は岡林さんの文章の端々に見られますが、例えばこれもそうです。

例えば、小さいころにはぐれた母子がいるとしましょう。その母子がふたたび出会った時に、母が私の知らない過去のことまで私のことを知っていてくださって、「私がお前のお母さんですよ、こっちへきなさい」と言われて、疑う人がいるでしょうか。

真実の信心とは瓜生師がいうような如来や浄土を私の側から信じていく心ではなく、如来の仰せにより私が虚仮であることと、本願念仏が真実であることが同時に知れることなのです。※2(岡林氏論考)

と説明していますが、これは「私の知らない過去のことまで知ってくださっているから、私のお母さんだろう」と分別心で状況判断しているだけですから、「私の側から信じていく」姿そのものであり、浄土真宗で言う信心とは異なるものと言えますし、あえて言えば自力心でしょう。当然親鸞聖人はこのような説明は一切されていません。

私はこのような信心の姿を、「これは自分が作り上げた信心ではなく、本願力回向の信心である」と「自分で信じている」だけではないですかと言っているのです。

こうした主張が岡林さんには「救われた、信心をえた、という人を貶める」と聞こえてしまっているのかも知れません。だとしたら、誤解させた自分の言い方にも問題があったということですから、お詫びいたします。

※1 親鸞聖人が「うたがい」を語るときの基本姿勢は「なくなる」ではなく、「うたがいなき」「うたがいなし」です。これは他力信心の性質が「疑いなくなる」ではなく、「疑いないものを賜る」ところにあるからだと考えられます。

※2 ちなみにこの譬喩の部分を抜粋して、本願寺派宗学を熱心にやっている何人かの友人に見せましたが、すべて否定的な反応が返ってきました。つまり本願寺派の教義安心においても、広く認められている解釈とは言い難いことを付記しておきます。

疑城胎宮の世界

まだまだ書きたいことはありますが、きりがないのでこのくらいにしておいて、少し気になったことを書きます。

岡林さん本人の問題提起は、作為的な引用が目立つとはいえその書き方は丁寧なものでしたが、この論考を読んだ人たちから、私はSNSで随分ひどいことを言われていたようです。もっとも、私はブロックされていて読めなかったので、親切な人に教えてもらったわけですが。※

その時、私は稲城和上のこの文章を思い出しました。

二十顧の果の世界を疑城胎宮といわれる。これは因の失を果によってあらわされたものである。疑は既述の如く自力心であり、自力の信心である。絶対に間違いないと思いこむ信心であるから自らのものの他は全く聞く耳をもたない。恰も籠城するが如く、自らに反する外敵はすべてはねつける。それ故、妊娠中の胎児のように外界からは全く閉鎖され、外を見る眼は塞される。ただ自分だけが生きがいを感じ、最高の喜びを見い出す。給も酔漠の如くである。また麻薬にとりつかれているもののようである。全くマルキストのいう阿片や毒酒の如きものである。(稲城選恵『御文章概要 蓮如教学の中心問題』)

私はずっと、どうして「ご信心をいただき、お念仏をよろこぶ人」の一部に(ほんのごく一部ですが)、自分の信心をアピールしつつ、事あるごとに他を攻撃する人が現れてくるのかを、不思議に思っていました。それは親鸞聖人が化身土巻に引用される「決定して自心を建立して」と言われている問題がそれだと思います。

つまり自分の中にあるのは本願力回向の信心だと「信じて」いるだけで、実のところそれは自心に建立された自力の信であるがゆえに、崩れることを恐れ、異なるものを排除し、狭い世界の中に閉じ込められてゆく。稲城和上はこうした有り様を何度も問題提起しています。

実はこれは私と無関係な問題ではなく、私もそうした傾向を持つ人間のひとりですし、この記事自体がそうだとも言えるかもしれません。ただ、これ読んだ人でもし私と同じように「自分のことかも」と思ってくださった方があったら、この文章を書いた甲斐があったかなと思います。

※ 岡林さんにブロックされていたのはではありません。念の為。

最後に

親鸞会を脱会したあとの私の師は二人いますが、実はどちらも本願寺派の方です。そのひとり、元本願寺派教学研究所所長の大峯顕師は、よく曽我量深(大谷派碩学)の話をしてくださいました。曽我の解釈は本願寺派から見れば異安心的なところもあると思いますし、もとより大谷派からも一時は異安心として追放された方です。しかし大峯師は曽我量深の言葉をとても大切にしていました。

私は過去に本願寺派の学者が、大谷派の現役の教学者を「異安心」と批判するのを聞いたことがあります。その際あまりに前後の文脈を無視して、その教学者の主張が「異安心的に」切り取られていると感じ、違和感を持ったものです。

それよりその学者は、自分が長年聞いてきた教義解釈の枠組みでその教学者の言葉を理解しようとするから、「異安心」としか思えないのであって、私のように両派で教学を学び聞法してきた人間にとっては、視点が違うだけで言わんとすることは同じに思えました。誤解なきように付け加えると、その学者は当時も今も私の尊敬する方です。ただ自分の枠組みを超えて相手を理解しようという姿勢が、少しかけていたように思えたのです。

何かを批判するときには、その批判の根底に、異なる視点を尊重し、違いの中に変わらない本質を見ようとする方が、より建設的な批判となり、豊かな聞法につながると私は思います。大峯師はそのような人だったし、私もそう有りたいものです(しかしなかなかそうなれなくて、悩んでいるのですが)。

岡林さんは私を「安心、真宗理解においては本願寺派の正統とはかなりかけ離れた理解である」と言われていますが、もとより私は本願寺派の正統でありたいなどとは思いませんし、私を法話に呼んでくれる方々の誰ひとりとして、私を「正統」と認識している人はいないでしょう。もとより真実信心とは、一宗派の「正統」などという枠に収まるような、狭いものではないはずです。

最後に、私は岡林さんにこの記事に対する応答は望みませんし、仮に返答をされても、これ以上のやり取りをするつもりは一切ありません。批判は大切ですし、そこから新たな視点が生まれることもありますが、岡林さんの指摘はあまりに断章取義であり、相手の主張を理解しようという態度が感じられないからです。そのような方との議論は、不毛です。

岡林さんにおかれましては、ご自身が正しいと思う教義解釈を、ご自身の場において、思う存分にされてください。私も是非お聞かせいただきたいと思いますし、ご案内頂ければお聴聞に参りますよ。