ねこねこふわふわな住職

真宗大谷派玄照寺 瓜生崇のブログです

強い信仰

Youtube法話を公開するようになって四年経つが、SNSとかで随分叩かれてきた。見なければいいのだが、親切な人が教えてくれたり(教えてくれなくていいよ)、批判に耳を傾けないのもどうかなと思ったりして、つい見てしまう。見てしまうと「あー、見なきゃよかったなぁ」と思う。法話の内容だけならいいが、人格的なところをボロクソにいわれたりしているのを見ることもあり、若干凹む。表で見れるものだけでもこの始末だから、影ではこの十倍くらいは言われているのかなと思ったりもする。見えなきゃ関係ないのだが。

それでも、私は親鸞会をやめてからずっと叩かれてきたし、悪い意味で慣れてしまって、受け流すのもうまくなってしまった。でも、私の場合は狭い閉じられた世界の出来事だからそれが出来るので、比べ物にならないほどの批判をネットで受けて自死された方のニュースを見ると胸が痛む。「こいつは叩いていい」と思うと、人間はとことんまで叩くのだろう。

長く宗教をやってきて、信仰を武器に人が人を叩くのを数限りなく見てきた。この教えでなければ救われないという思いが、ときに人を残酷にさせる。あらゆる戦争の中で宗教戦争がひときわ凄惨なものになるのはこのためだ。十字軍でイスラム教徒を殺せと叫ぶ人は、一方で誰よりも敬虔なクリスチャンなのである。

仏教では堅固な菩提心を「金剛心」という。しかし強い信仰とは本来厄介なものである。固いものはガラスのように割れやすい。なので信仰という城壁を築き、その外にいる人間を見下し、異なる信仰を攻撃し、同じ信仰を共有する仲間たちで頷き合って、共同幻想の中で信仰を守ろうとする。それが一番居心地がいいのだ。

これを無量寿経には「疑城胎宮」といい、疑いの城に閉じこもり胎児のように閉ざされ、宮殿のように居心地の良い世界とした。それはあらゆるものの救済を誓った本願を聞きながら、信仰の外に救われない人間を作り出すことで自らの救いを確かなものにしようとするから、信じているように見えて実は最も深い「疑い」なのだ。

そして親鸞聖人は浄土教における「金剛心」とは、自分が起こすものではなく、阿弥陀仏衆生救済の心であり他力であるとした。もっとも私達はやっかいなもので、そう聞いても自分の中に「金剛心」を作り上げ、これは阿弥陀仏より賜ったものだと思い込む。これを親鸞聖人は「自心を建立して、教に順じて修行し、永く疑錯を除きて、一切の別解・別行・異学・異見・異執の為に退失傾動せられざるなりと」と善導の言葉を引用して見ていく。

しかし自己の固い信仰の殻に閉じこもり相手を見下すのは「疑城胎宮」であるが、その人を「疑城胎宮」であると批判するところにも「疑城胎宮」は存在する。

真実に遇った人間は固い信仰を獲て真実になっていくのではなく、真実に遇うことでどこまでも自分の不実を知らされるのだが、「私は不実である」といいつつ、不実であることを自覚できた自己に慢心するのであり、不実ささえも自己の信仰立脚の手段に使おうとするのだ。

「悲しきかな、垢障の凡愚、無際より已来、助・正間雑し、定散心雑するが故に、出離、其の期無し。自ら流転輪回を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰し叵く、大信海に入り叵し。良に傷嗟すべし、深く悲歎すべし。」と親鸞聖人が悲嘆されたのは、まさにこういうところだと思う。

釈尊は自分の父を殺して王位につき、その呵責に苦しむ阿闍世に対して、月愛三昧という月の光のような柔らかい光を放ち痕を癒やした。仏陀の光は太陽をも超越するはずなのに、なぜ月の光なのか。教団を分裂させ自ら仏陀となろうとした提婆達多の「強い信仰」によって傷ついた阿闍世にとっては、強い光はかえって苦しみになったからではないだろうか。

眩しいほどの光は深い影を作る。そして強い信仰も時として人を傷つける。それでも私達は信仰の不確かさに耐えられず、自心のなかに「強い信仰」を作ろうとしてもがき苦しむのかもしれない。