ねこねこふわふわな住職

真宗大谷派玄照寺 瓜生崇のブログです

さよなら、わが青春の顕真学院

今日は福井県あわら市公開講座があり、話にいってきました。あわら温泉街の旅館で法話会というちょっと粋な企画です。

4,50名くらいの方が来られていましたが、話の最中ですこしだけ自分が親鸞会にいた事、そして23年前、あわら市の北潟にある顕真学院で講師になるために1年半学んでいたことを話しましたら、終わった後に何人か「自分も親鸞会で聞いていました」と申し出る方がおられました。

一人は北潟で話を聞いていたと言われるので「学院の法話会に来られていたのですか?」と聞くと、北潟公民館で聞いていたとのこと。そうです、私が居たころも顕真学院の近くにある北潟公民館で、学院生は開発法座をしていたのでした。聞いていた時期も私が学院に居た頃と一致します。おそらくお会いしていたかもですねと頷き合いました。

また、「私からアニメを買った」と言われる方もおられました。そうです、学院生は月に二回、周辺地域を自転車で回って、「親鸞聖人のアニメ」を頒布していたのでした。ただ、20年以上前のことだし、当時の学院生は男性はみんな丸坊主でしたから、本当に私かも知れないし、違う人のことを勘違いしているかも知れません。

16年前に親鸞会をやめ、入寺して住職になって10年経ちますが、各地を法話で歩くと本当によく、「私も親鸞会で聞いていました」という方に出会います。あの教団はずっと自分たちが浄土真宗の主流になるのだという夢を描いていました。結局その夢は夢のままで終わりそうですが、驚くほど多くの人を真宗の世界に導き入れたように思います。もちろん、私も、その一人です。

あわら温泉での法話が終わった後、少し足を伸ばして北潟の顕真学院に行ってみました。この顕真学院は親鸞会が講師養成のために建てた学校で、実に厳しいところでした。私が居たのは1998~1999年の間で、あそこでの経験をとても一言で言い表すことはできませんが、とにかく、しんどい1年半でした。私と同じくらいの歳の若者が20人くらい入り、約半分は進路変更するか辞めていきました。

顕真学院への入学者は減り続け、2020年の5月に富山の本部施設内に移転となり、それから1年、施設は使われていません。

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久しぶりに訪れた顕真学院は、人気はまったくないものの、敷地はよく整備されていました。おそらく定期的に誰かが来て庭木の手入れや除草をしているのでしょう。ただ私が学院に居たときは、ぺんぺん草一本許されないくらいに完璧に草むしりしていましたから、それと比較すると若干荒れてはいます。

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駐車場の一部が倒木で塞がれていました。こんなのを放置するのは親鸞会の施設としてはありえないことなので、最近倒れたのかも知れません。(敷地外から撮影しています)

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自転車に乗って外出するときは、この裏手の道を通っていました。この建物ができたのは1996年、私が入学したのが1998年でしたから、入ったときはピカピカでしたが、流石に今見ると古びた感じがします。

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かつて隣には県立芦原青年の家があって、行事のときは駐車場の貸し借りなども行われていたのですが、今は移転して、跡地は造成されている最中でした。何が出来るのか。

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しんと静まり返った学院をみて、かつてはここで大勢の若者が七転八倒の日々を過ごしていたことを思うと、こみあげてくるものがあります。ひどい日常でしたが、紛れもなく私の青春の1ページでした。

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さよなら、わが青春の顕真学院。