ねこねこふわふわな住職

真宗大谷派玄照寺 瓜生崇のブログです

即興法話(お題法話)について

こんな記事を見た。

luhana-enigma.hatenablog.com

私もこの「即興法話」を見たことがある。同じように悲しくなった。どうしてそう思うのか、自分の今の思いを書いてみることにする。ここは読者が極端に少ないので、頑張ってこの法話形式に取り組んでいる人たちに水を差すことにはなりにくいだろうし、書いておけば必要な人には届くだろう。

断っておくが、私自身は人の法話をあれこれ評価できる立場のものではない。ただ、18歳のときから仏教を聞き続け、23歳のときから24年間法話をしてきたので、経験だけはそれなりにある。何千回と話してきた。逆に言えば、私が法話を語ることのできる根拠は、それしかない。

即興法話とは、「お題」としていくつかの単語をもらって、それを使って即興で法話するもの。落語の三題噺の法話版である。聞きたい人はYoutubeで検索したらいくつか出てくるので、それを聞いてもらえばいいと思う。

即興法話クラブの説明文には、こんな記述があった。

即興法話は、布教使の鍛錬方法の一つです。客席からお題となる言葉を数個いただき、その言葉を必ず通って即興で法話することで、法話現場でのトラブル対応力や、話の筋道を組み立てる力を磨くものです。鍛錬方法ですので、本来なら披露するようなものではありませんが、上手くいけばありがたいし、上手くいかなくても楽しい法話になりますので、エンタメとして楽しんでいただきたいと思います。録音禁止‼︎他言無用‼︎抱腹絶倒‼︎南無阿弥陀仏‼︎

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なるほど、即興法話はエンタメなのだろう。

私がいくつか聞いたときも、僧侶が集まってお題をネットで集め、それを工夫して一つの法話を組み立てていた。うまくいけば拍手喝采だし、途中で空中分解すれば笑いのネタになる。法話を大事に思ってきた人には、見てられないほど悲しい光景だろう。しかし、これはエンタメなのだ言われたら多少は頷けるかも知れない。

かつて法話には確かにそんな一面があった。説教師は情感たっぷりに聞かせる法話を行い、聴衆はそれに酔った。寺で報恩講があると参道には出店が立ち並び、本堂は人で溢れた。人気の説教師は有名役者並みの収入があったと聞く。そういう時代が確かに存在し、いまも年配の人がその様子を懐かしく語ることがある。

しかし、そんな光景が続いたのはせいぜい昭和の半ばくらいまでだった。当然のことで、法話よりずっと面白いコンテンツがテレビなどで大量に供給されたからだ。結果として涙と笑いで人気を得るタイプの説教師は次第にいなくなった。

そんな時代に戻りたいのだろうか。

本願寺派のある和上が、昔はお参りが多かったけど、テレビやラジオが普及してからお参りが少なくなったと嘆く人がいる。でも、昔だって本当に仏教を聞きたい人はそんなに多くなかった。テレビやラジオの代わりに法話を聞いていただけだと言われていた。

今、浄土真宗の一部は「仏教のエンタメ化」に突き進んでいるように見える。このままでは寺の危機だから、若い人に楽しんでもらえるように、裾野を広げなければ、楽しくしなければ、わかりやすくしなければと、ある意味、熱に浮かされていると言ってもいいかもしれない。

しかしその中身を見てみると、坊さんが集まって内輪で笑い合うようなものであったり、あるいはいわゆる「楽屋ネタ」としての「坊さん」のコンテンツ化であったり、「癒やし」や「居場所」の提供であったり。こんなものはおそらく一時的に流行ることはあっても、消費されつくしたら終わりだろう。

そして、数人のお参りしかなくても長年続けてきたような法座はなくなり、外に出てチラシを配ったり、新しい場所を開拓して法話を始めたりといった営みは続かない。しんどい思いをして、本当に聞きたい人を見つけて地道に伝えていこうといった、目立たない取り組みをする人はとても少ない。

仏教を伝えるのに苦しい恥ずかしい思いはしたくない。でも目立ちたい、人を集めたい、法話に呼ばれたい、そんなところが目的化しているように思えて仕方がない。もちろん、私も含めて、人である以上はその思いからは逃れられないと思うのだが、それに少しは恥じる思いがあってもいいのではないか。

まだ書きたいことはある。お題をうまく法話に散りばめて、最後に阿弥陀さんの救いに上手に結びつけて悦に入っている姿には、どんな話題だろうと巧みに例話にして、仏法を話しできるという自信を見て取れる。この研鑽の目的には、その自信を得るためという一面もあるのかもしれない。

しかし、伝えたいことが先にあって、それを伝えるための例話ではないか。即興法話ではそれが逆である。お題をうまいこと法話に結びつけることが目的になっていて、伝えたいことが先にあるのではない。それが仮に訓練として「話の筋道を組み立てる力」になるとも思えない。どう贔屓目に聞いても話の寄り道がうまくなるだけだろう。

仏教は例話の宝庫である。釈尊は譬喩の名人だった。でもそれは、言葉にならない真実を、どうにかして言葉にしたいという思いからの譬喩だ。

私達が法話に取り組む時、どれだけ悩んで言葉を紡いでも、それがそのまま真実ではないことに苦しむ。仏教は聞けば聞くほど、わからない自分が知らされる。それが仏教の歴史の中で諸師が共通して持ち続けてきた、無仏の時代に生きる僧侶の悲しみである。わからないものが法を説くことの恐ろしさである。その事実の前に私達は謙虚にならざるを得ない。

即興法話にはそれが感じられない。うまいこと話せばありがたがって悦に入るし、だめならお笑いとしてエンタメになる。誰かが型をこしらえたジグゾーパズルに、ワイワイ言いながらちょっと変わったピースを突っ込むだけの営みに見える。

私の先生は、50歳のときに僧籍をとり、滋賀の門徒数20軒もない小さなお寺で、毎月2回欠かさず朝昼の定例法座をされてきた方だった。最初は一人二人、いや誰もお参りに来ない日も多かったそうだ。普通はそんな日が続いたらやめてしまうだろう。でも先生は続けられた。なぜなら本堂をいっぱいにするのが先生の法話の目的ではなかったから。法話は先生にとっての聞法だったからだ。

結果として先生は400回以上の定例法話をそこで重ねられるのだが、次第に聞く人は増えていき、交通の便の悪い田舎の本堂は毎回一杯になり、各地から聞きたい人が集った。ここで初めて仏法を聞いたという人もいた。

先生のお話は決してわかりやすくはなかった。厳しいことも随分言われた。いつもお聖教の言葉をぎっしり印刷したプリントを配って、その言葉を丁寧に説明した。ご自分の至らなさ、不甲斐なさを決して隠そうとはしなかった。わからないことはわからないと正直に言われた。私達は先生の話だけではなく、その姿からも仏法を聞いていたのだと思う。

先生の法話は、泣ける人情噺や気の利いた譬え話を駆使して、うまいこと話して感動する法話とは全く正反対のものだったが、聞きたい人が絶えることはなかった。私は、これが正しいやり方であり、みんながここを目指すべきだとは思わない。でも、本当に仏教の裾野を広めたいと思ったら、訓練して巧みな話ができるようになることだけがその道ではないことを、知ってもらえたらいいと思う。